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2006年5月 6日 (土)

漫画の源流とジャポニズム

ゴールデンウィークも残り少なくなりましたが、お出かけするのも面倒という方に、国際子ども図書館の
コンテンツをおすすめしましょう。

江戸絵本とジャポニズム
http://www.kodomo.go.jp/gallery/digi/edoehon/index.html

shockwaveプラグインをブラウザに入れないと見られませんが、音声による説明つきでなかなか楽しめます。

大阪万博をさかのぼること百年、1867年にパリで万博が開かれ、日本からも初めて出品され、かつてから浮世絵などが印象派の画家たちなどの間で話題になっていたのがこれを機会にジャポニズムとして広まり、別のWebページによれば明治新政府も万博を舞台に日本の美術工芸を積極的に売り出す政策を進めたと記しています。これは本当なのかしら。
http://www.janjan.jp/culture/0407/0407197008/1.php?PHPSESSID=.

ストーリーマンガの起源についてはいろいろなことが言われていますが、たとえば昨年出された秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画』では、ヨーロッパでマンガの粗と言われているルドルフ・テプフェル(あるいはロドルフ・テプフェール)Rodolphe Töpfferの作品が紹介されており、だいたい1830年頃に成立したということになります。もっとも、このような形式が広まるのは19世紀も後半のことになるのでしょうか。

ジャポニズムが流行するのはまさに19世紀の後半で、折しもウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動が近代デザインの出発点となって、これにジャポニズムの影響が、19世紀末のアール・ヌーヴォーからさらにはウィーン分離派にまで影響を及ぼしていくのですが、世紀末を抜けて20世紀に入ると美術界はフォーヴィスムやキュビスムへと向かい異国趣味としてのジャポニズムは下火になり、アフリカン・アートなどに興味を移していったようです。アール・ヌーヴォーから、1960年代の終わり頃に1925年様式として見出されたアール・デコまでのデザインの歴史は折々の前衛美術と微妙な関係を保ちながら変容していくのですが、映画、写真の表現手法とも相互作用があったと思われるので、漫画ともなんらかの相互作用が働いていないかが気になるのですが、ちなみにアール・デコ様式は世界的に波及して、日本でアール・デコというと私には商業デザイナーでもあった竹久夢二が思い浮かびます。夢二はそのキャリアの初期である明治30年代から末にかけて諷刺画を含むひとコマの漫画のようなものも書いていますが、これはコマ絵と呼ばれています。

ちょっと話が大きくなりましたが、元の話に戻すと、紹介されている江戸絵本というのはいわゆる子供向けのおとぎ話を内容とした草双紙で、赤い表紙から赤本と呼ばれていたものです。漫画の赤本の名称もこれに由来しているのでしょう。
解説によると草双紙は青本、黄表紙へと発展していった、つまりだんだん青年向け、大人向けになっていったようなのですが、いずれにしても絵師と戯作者によって書かれた庶民向けの絵本であり、江戸時代も教育熱心だったというか寺子屋などで読み書きを習うことで識字率も高く、また本はそれなりに高価だったらしく、赤本は全部で十頁程なのでどの程度の値段かわかりませんがお年玉で与える贈答品であったり、草双紙を扱う貸本屋は大変栄えたようです。

(参考)貸本屋さんの文学史(亀井 秀雄氏)。研究者としては長友千代治氏など。
http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/otaru/kashihon_01.html#f21

ちなみに江戸の絵本のこのようなスタイルは明治時代の中頃までは残っていたと確か解説していたような。

近代漫画については幕末に発行され明治20年まで続いた「ジャパン・パンチ」から今でもポンチ絵という言葉が残されているようにポンチと呼ばれ、ビゴーの滞在が明治15年から32(1899)年、北沢楽天がオーストラリア出身のフランク・ナンキベルに師事してそして本格的に活躍し始めるのが20世紀に入って明治35年のこと。楽天は新聞の諷刺漫画から連載ものまで幅広くこなし近代漫画を確立させた人物といえます。また戦前最大の漫画家と言われる岡本一平が夏目漱石によって見出されデビューするのが大正3年、そして大正期に漫画漫文と名付けた長編漫画を連載し、その中の代表作「人の一生」が大正9(1921)年に出されています。また東風人・織田小星の「正チャンの冒険」は大正12(1923)年に開始していて、これは立派にフキダシまで付いています。子供向けの物語漫画が確立されるのも大正期になるのでしょう。

それからジャポニズムに移るのが一見唐突ですが、19世紀末の西洋の絵本にも浮世絵的な表現が採り入れられ、それまでの物語絵本とはの造りとは異なった、動物の絵と詩を見開きでレイアウトしたデザインを重視した絵本の表現や、 ルネサンス以来の西洋絵画の原則を破って(ルネサンス以降失われた?)異時同図の手法が草双紙の画面と似たある種漫画のコマの流れ的なレイアウトで表現されているという絵本がジャポニズムの影響例として挙げられています。
私の興味は少女マンガのコマ割りからはじまっているので、デザインや書籍・雑誌のレイアウトとマンガ表現との間に何らかの関連が見出せないかという方向に向かっているので興味深くはあるのですが、このジャポニズムと絵本というテーマに関しては、デザインの歴史との絡みもあるので、実際はどの程度研究されているのかというのがかなり気になるところです。 


ちなみに19世紀末のジャポニズムの隆盛はたまたまアニメーションおよび映画の誕生の時期と重なりますが、さらに商業デザインの成立の時期ともかかわっています。
まず写真術はその前提としてのカメラ・オブスクラがありますが、ニエプスが1826年に風景を感光材に定着させることに成功してから、短時間の露光で定着させるための感光材の探求が進み、1839年にダゲールが銀塩写真の原形となるダゲレオタイプを発明し、その後19世紀のうちにネガポジ法による複製と、湿板、乾板から1856年に発明されたセルロイドを用いた感光フィルムへと感光材料の革新が進み、また『「コマ」から「フィルム」へ』で記されているように残像効果を用いたアニメーション技術も1832年のフェナキスティスコープ、1834年のゾートロープを経て、17世紀に発明されたと言われる幻燈機技術(これもキルヒャーの紹介するラテルナ・マギカから18世紀末のロバートソンのファンタスマゴリアの興行へと発展し映画の源流となる)と融合してアニメーションの創始者といえるエミール・レイノーの1877年のプラクシノスコープから1889年に絵を描いたテープを用いたテアトル・オプティークへと進化し、これに同じ1889年にイーストマンの発明した写真フィルムを組み合わせるような形でリュミエールが1895年にシネマトグラフを発明して、これが映画の誕生となっています。
テアトル・オプティークについては検索すれば解説がたくさん出てきますが、ただフィルムを流すだけのシネマトグラフよりも複雑で、テープを逆転させたり音を鳴らしたりする仕組みも付けていたようですが、つまるところ一コマづつ手書きするそれほど長くはない動画を上映するために技師が工夫を凝らさねばならなかったのではないかと推測されます。
さて、映画にトーキーが登場するのは1927年、ディズニーによる初のトーキーアニメーションである「蒸気船ウィリー」はその翌年に上演と、映画に音が付くまでにアール・ヌーヴォーからアール・デコまでの30年もの長い時間がかかっているのです。

(参考)
松岡正剛の千夜千冊『カメラ・オブスクラ年代記』ジョン・ハモンド
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0090.html

カメラの歴史③ フィルムのはじまり
http://www.jcii-cameramuseum.jp/kids/rekishi/rekishi03.html

動く絵のおもちゃの歴史
http://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/list/index.html

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コメント

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
「かなり昔の漫画」で岡本一平の漫画漫文も
とりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

投稿: kemukemu | 2007年4月 2日 (月) 19時10分

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